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老子とは

2012年04月12日 12:52

老子は古代中国の、二千五百年ほど前の人で、えらい思想家です。但し、その実像ははっきりしていません。

司馬遷(紀元前百四十五年頃~)が著した有名な「史記」にも出てきます。

その老子が国境の関所を通ったとき、そこの役人の伊喜から「道の教え」を問われ、其のときに残したのが、「道」と「徳」の上下二編五千字からなる文章でした。

上篇を「道教」一章から三十七章、下篇を「徳経」三十八章から八十一章、といい、合わせて「老子道徳経」といいます。

これが一般に「老子」と呼ばれる元の本です。

なのでまったくの架空の人物ではないようですが、当時、勢いを増していた儒教思想(孔子や孟子の思想)に対抗する道教思想(老子や荘子の思想)家たちが、其の中心人物である老子を持ち上げて書き、思想を紹介した可能性もあるとされています。

今日、この論語と老子は中国の二代古典となっています。

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自由の境地

2012年03月17日 07:10

至人の心を用ふるは鏡の若く、将らず逆へず、応じてかくさず。

至人とは老荘思想において最高の人間を意味し、鏡と同じように、ごく自然に生きており、先のことを憂いて取り越し苦労もないし、過ぎ去った事を悔やむことも無い。

ようするに自然。何が起きてもあるがままに受け入れ、何者にも左右されない絶対自由の境地に居る生き方が良いと説いています。

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多面的に観る

2012年03月11日 09:51

常無は以って其の妙を観んと欲し、常有は以って其の徼を観んと欲す「體道一」

欲の無いまっさらな心であれば、人間社会の最上のもの、妙が見え、欲があると、混沌とした世の中の様子、徼が見えてくる。

但し、どちらも「道」から生まれたものであり、良い、悪いとゆう意味は無い。

さらに「道」はそれらに上、下級などの等級をつけていない。

そうゆう価値観に左右されると、本質を見失うかもしれないから、妙も徼も両方観る事ができる人間になる必要がある。

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名前の意味

2012年03月09日 15:25

名の名とす可きは、常名に非ず。名無し、天地の初めには。名有れ、万物の母にこそ「體道一」

万物が無数に生み出されて、収拾がつかなくなり、それらを判別するために名前が付いたのであり、名前自体には中身がない。

よく名前や肩書きで人を判断しがちですが、それらを取り外して観ないとその人の実体、真理はつかめない。

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道は体得するもの

2012年03月04日 10:39

道の道とす可きは常道に非ず「體道第一」

矛盾がありますが、「道」ですよと言葉で説明すると同時に、それはもう「道」ではないと述べています。

要するに、言葉とゆうものは、そんなに頼りに成る物ではなく、限界があると主張しているようです。

実際に自分でその現場に出向いて、自分の目で見て、触れ確かめて、初めて現場の実情を知ったことになります。

それが、冒頭の文の表題にある「體道」、道を体得することになります。

バーチャル化が進んでいる現在ではさまざまな場面で現場で体得することが少なくなってきています。

現在人に警鐘を鳴らしています。

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無為に至る

2012年03月03日 12:20

学を為せば日に益し、道を為せば日に損す。之を損し又損し、以って無為に至る。

無為にして為さざる無し。「忘知第四十八」

知識があるばかりに、それを披露したい思いに駆られ、何かと屁理屈をこねて口に出したがり、知識はそういう「欲」を起こす大本になる。

但し、この章では、学ぶ事を否定しているのではありません。

知識を得ようと学ぶだけではなく、この世の心理・道理である「道」を追求して行くと、知識など大したものではないと思えてくる。そして知識をどんどん減らして行くと、やがて無為の境地に至る。

意図的・作為的に物事を進めようとすればするほど、うまくいかなくなる。

「道」には出っ張りすぎを平らにする作用(中庸)があり、「道」の呈する事実だけを直視して生きてゆくと、道が味方をしてくれてすべてがうまくゆくようになると、述べているように思われます。

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陰陽和す

2012年02月28日 15:50

道一を生じ、一二を生じ、二三を生じ、三萬物を生ず。

萬物陰を負ひて陽を抱き、冲氣以って和を為す。「道化四十二」

言葉通り解釈すると、道が一を生み出す。一は元気で気の元。

その元気が二を生じる。二は陰と陽の意味。

二が三を生じる。三は冲氣で、空っぽ、無を意味しますが、何も無いという単純な意味ではなくて、何かを生み出す、ものすごいエネルギーに満ちているものです。


「三萬物を生ず」というのは、陰と陽が冲氣によって和されて、一体化しさまざまなものを生み出すことを表します。

この陰陽和すという事象は、普段も日常的に起こっている事柄です。

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謎に満ちた老子

2011年07月03日 10:13

老子は儒教を批判しています。

その主な理由は、儒教が人間関係の道徳の規範を設けてそれを実践すること。

世の中がいわゆる天下太平の時代には仁義、考慈、忠などの徳目は他人から教わらなくとも自ずと自然に実践されていた。

それは常の道に従って自然のままに生きていたから、家庭も国家もおのずから秩序が保たれた。

近代文明が発展してきて、さかしらな知恵がはびこりだしてから、道が失われたために、儒教の礼儀が説かれる必要が生じた。

また、老子は一説によると過去に何度も生まれ変わっているとゆうことです。

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つらい仕事と楽しい仕事

2011年06月11日 06:27

当時の物語で、お釈迦様はある人に地獄と天国の様子を聞かれて、仕事の現場に喩えたそうです。

地獄
大邸宅に住んでいて、贅沢なものを食べながら暮らしている。その人はいい暮らしをしているが、不安と恐怖と隣りあわせで、気の休まる暇が無いほどの大変な思いで、銀を掘り当てる仕事をしていた。

天国
みすぼらしい家に住んでいて、質素なものを食べながら暮らしているが、寝食を忘れてしまうほど楽しみながらリンゴ作りの仕事をしていた。

この物語は仕事がつらければ、人生も地獄のようにつらく、仕事が楽しければ、人生は天国のようにたのしくなる、ということを教えて示してくれています。
現在の職業事情にも当てはまる面があると思います。

四柱推命でも適職(食べていける仕事)と、天職(向いていて楽しい仕事だが食べていけるとはかぎらない)があって、ある程度の傾向を観ることは可能です。

現在の仕事の種類は多岐にわたっていますが、出来れば報酬は少なめでも、天職で楽しく仕事をする事を検討してみたい。
仕事を覚えて良い仕事をすれば、報酬はそれなりに付いてくるものです。
但し、家族持ちの方などでは、天職で楽しい仕事に就けたとしても経済面などのリスクが伴うと予想されるので、転職をする時は、注意してください。

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強欲は人の心を狂わせる

2011年06月05日 06:42

狩りの楽しみは、人の心を狂わせ、貴重な財宝は、人の心を誤らせる。(第十二章)

狩りは、当時の中国ではひとつの楽しみであり、現在で言えば、ゴルフとかパチンコのようなものでしょう。
しかし、楽しいからといって、それに溺れたり、のめりこむと、たちまち平常心を失う。物欲も然り。

人間の欲望にはきりが無い。これが手に入ったら次はあれと、欲望の対象は果てしなく広がる。
しかし、それではいつまでたっても心の充足は得られない。

老子は無欲を主張している。
戦後の日本は、まさにお金を稼ぐ事と、物欲に走ってきたと思う。
現在の人間には、なかなかそんな境地には至り得ないとしても、常に欲望のコントロールには留意したい。

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