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孔孟と老荘思想の違い

2011年05月29日 10:57

孔子、孟子を始祖とする儒教は、日本の江戸時代に武士の模範経典としても用いられており、仁、義、礼、智、信などの徳目を解き、社会を背負って立ついわゆるエリートの心得を説いている。
これは、いわば表面の道徳であり、建前の道徳であるといっても良いかもしれない。

ところが表面の道徳だけでは、どうしても世の中が息苦しくなるものである。
与えられた現実に自足しながら人生を楽しみ、もっとのんびり生きたい、という願望が起こってくる。
そういった古代中国の民衆の願いを支えてきたのが、道教であった。

道教にはいろいろな考えや風習が織り込まれているが、その源流は老荘思想であり、道家と呼ばれている。
老子によれば、万物の根源に万物を万物となり立たせているある存在があり、それが「道」である。
西洋の翻訳本ではTAOと呼ばれている。
そのあり方は、無為自然の徳を体現している。
私ども人間も、こういった「道」のありようを自分のものにすることができるなら、厳しい現実をしなやかに生き抜いていくことができるのだという。

老子は、社会的弱者の立場から現実を凝視し、「道」を発見することによって、そこから現実を生きる英知を引き出している。

荘子は「道」に関しては、老子と本質的な違いはないが、自由人の思想に近いといえると思う。

管理人はどちらかと言えば老荘思想のタイプでしょう。

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